旅を終えて

長期で世界を巡りたいと思い始めたのは大学院の時だ。しかしその頃はまだ外の世界を知りたいという単純な欲求とヨーロッパで建築を見なければという強迫観念のようなものだった気がする。当時すぐに行動に移すことはしなかった。時間と金銭的な問題、なぜか社会人としての経験を踏まえた上で外に出ようという意識が勝ったのが一番大きな理由だ。学生旅行はそれはそれで良い経験になっていたと思う。しかし旅に出て多くのモノを見、多くの人と関わり、多くのことを考える。当時の自分では今程有意義で実り多い経験をすることはできなかっただろうと思うと20代最後の時期に旅に出たのは正解だったのだろう。
インターネットの普及や交通網の発達で世界は確実に身近なモノになってきていると言われる。しかし本当にそうだろうか。情報操作により単に身近なモノとしてインプットさせられているような気がしてならない。氾濫する膨大な量の情報の中から僅か数パーセントの正しい情報を選別するのはそれ相応の能力が求められる。実際、世界各地を巡るにつれて世界は広くなる、そして経験を踏まえるにつれ本当の意味で意識的に身近になっていく。この正しい感覚が身に付いただけでも今回の旅は実り多い。
人は天才でもなければ無から有を生み出すことはできないと考えている。いや天才でも然りだ。クリエイティブな発想を生み出すきっかけは必ずこれまでの経験や断片的な知識が元となっているはずである。自らは気づかなくても必ず記憶の片隅に残り新たな発想の手助けをしてくれる。それにはまず知ることが必要だ。メディアや雑誌で断片的に植えつけられてしまった記憶を自らの経験を即して塗り替えなければならない。アジアでは混沌とした中、人々の生きる力を。南米では壮大な自然の中、地球に立っている確かな実感を。ヨーロッパではこれまで積み重ねてきた歴史の重みと未来への可能性を。それはこんな簡単な言葉で表現できるわけもなく、本当に多くのモノが私の身体に直接浸透していく感じだ。世界各地で様々なモノを体感するにつれて私の中の空白は次第に埋まっていく。
まだまだ訪れた国は30ヵ国に満たない程少ない。多くの国を見れば良いというわけではないが、多くの国を見てみたい。地球が誕生し、国境が引かれ、国ができたからには何か意味があるはずだ。それをこの目で見てみたい。歳を重ねるのは楽しいが人生は短い。どこまで自由に翔ることができるだろうか。自由になるためにはまだまだ日本でやるべき事は多い。
旅は何も特別なことではない。あくまでも旅行の延長と考えていたほうが良いだろう。旅に出たからと言って当然偉いわけでもなく、人生が劇的に変わるわけでもない。「自分探しの旅に出る」なんて私はとても否定的な人間だ。しかし自ら積極的に求めるのであれば何か小さなキッカケが掴めるかもしれない。内に秘めた場所があるならそこに行ってみるのもいいだろう。私のブログで紹介した場所で興味引かれる場所があったならそこへ行ってみるのも良いだろう。自分の気持ちに素直に行動してみるのも一つの手ではある。きっと何か思うところはあるはずだ。
最後にはなりますが5ヶ月という期間ブログを読んでくださった方々、有難うございました。日々旅をしながら思い、感じたことを殴り書きのように書いていたため、稚拙な文章が多く読みづらい点が多々あったと思いますが御了承下さい。このブログは一時終了してまた数年後再開できればと思います。
□今回の旅で特に印象に残った場所
・ネパール-エベレストトレッキング・インド-バナーラシのガートとガンガー・カンボジア-アンコールワット・ペルー-マチュピチュボリビア-ウユニ塩湖・チリ-イースターアイランドのモアイ・チリ-パイネ国立公園でのトレッキング・アルゼンチン-ロスグラシアレス国立公園でのペリトモレノ氷河トレッキング・アルゼンチン,ブラジル-イグアスの滝・モロッコ-サハラ砂漠・イタリア-アマルフィ海岸沿いのポジターノの街並み・イタリア-アルベロベッロのトゥルッリ・スイス-ヴァルスのテルミナルヴァルス(温浴施設)・ドイツ-ゲーテアヌム・フランス-フェルミニのサンピエール教会・・・